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絶望とまではいかないはなし

タクシーでStevie wonder
Golden Ladyが流れた。
夏がきたな、と思った。

もう会うこともない
過去の友人の名前を
友人の友人として、
フェイスブックで見かけた
フト、見た。
その子は中学生の頃から
センスがあって、お洒落で、
服飾関係の仕事に
就くのが夢と言っていた。
おそらくその夢が
折れることなく豊かに育って、
今、その場所にいるんだと知った。

そういう話を見聞きすると
いいなぁ、で胸がいっぱいになる。
その人は好きな人生を選べたのだ。
と思う。
その人の見えない努力や
そういったのとはべつで、
夢を追う強さと、自由があることが。

わたしは、その頃には夢があって、
でも、親に、コレになりさえしたら
あとはどんなことでもしていいよ、と
とてもとても芽の柔らかい時期に
云われたものだから、
その言葉が呪いのようにしみこんで、
鎖みたいに外れず、もし外したら、
わたしは見限られる、と思ったら、
それ以来、動けなくなってしまった。

親の期待に応えたら、
これさえ終われば、
わたしは好きなことが、
と唱えながら、十と数年が経つと
これが終われば、好きなことを仕事に、
と容易く口走れるほど
子供ではなくなっていて、
いざ、わたしはこれになりたいです、
というのも、
なぜだか道を間違えたみたいな
不安な気持ちになって、
ついには願うことをしなくなった。
わたしの今いる道も
きっと間違いではないだろう
親の願った、そこそこ安泰
というやつだろう。

私は親を好きだけれど、
でも、もしも親に一言、嘘でも、
好きなことをがんばりなさいと
言ってもらえたら
どんなに救われただろうと
今でも思ってしまう。
模試の進路希望の欄に
好きな、行きたい大学を
書けるクラスメイトが羨ましかった。
叶わなくたっていいのだ。
選べる、という自由があるだけで。

結果、
わたしは失敗作になったわけだけど、
どうせ失敗作なら
好きなことをやって失敗作になるのも
あんまり変わんなかったんじゃないかな、と思う。

わたしもショートケーキになりたい。
ショーケースにならんだ
つやつやの苺をのせた。
いいなぁ、と思うのだ。
いつも世界の外側から。